特集2(C) 『敬天愛人』 何のために人は学ぶのか

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  人として正しく生きる。
  学校で習ったこと、教えてもらったこと。
  勉強ができる・できない以前に、一人の人間として「卑怯者」にはなるな。
  学校で教えてもらったはずなのに、大人になると忘れてしまうのでしょうか。
  



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卑怯なことをしない …… 学校経営の柱の一つとして
 

どんな素晴らしいクラスでも、どのような学校でも、小さなトラブルや事件はつきものです。逆に全く起きないというのは、某(なにがし)かの圧力がかかった状態であり、ある種、異様ともいえるでしょう。

しかし、根の深いいじめ・死に至らしめるような執拗ないじめは別問題です。

ところで、いじめは日本特有の問題ではありません。イギリスでは生徒の七割がいじめ被害(BBQC調査)にあっているといいます。アメリカではアジア系生徒の五四%がいじめを受けたことがある(二〇〇九年政府統計)といわれています。

国際的に見て、いじめ問題が最も深刻でかつ対策が進んでいるのが、ノルウェー、スウェーデン、イギリス(スコットランド)など北ヨーロッパ諸国です。

むろん、いじめは子どもだけでなく大人の社会でも同じです。異質を廃するという人間の醜い性と言ってもいいでしょうか

完全に「いじめの芽」をなくすことはできないとしても、陰湿ないじめが長く続かないように防いだり、歯止めをかけたりする手段を危機管理として学校現場がいかに備えているかが大切です。

「卑怯なことをしない子」に育てたいと、常々私は考えています。

今や「卑怯」という言葉を、子どもたちはあまり使わなくなっています。

しかし、今の世だからこそ、「卑怯なことをしない」ことを学校経営の柱の一つにしたいのです。

かつて日本では、卑怯は道徳の中枢にありました。「卑怯者」という烙印は、「生きる価値がない」という意であり、その昔、武士にとっては切腹を意味したのです。

先日、全校児童に対し、

「卑怯なことの意味が、何となく分かる人はいますか?」

と聞くと、六~七名の子が手を挙げました。

予想した通り、半ば死語に近い状態です。

・大勢で一人をやっつける。

・弱い者いじめをする。

・弱い者がやられているのを見て知らん顔をする。

・謝ったり泣いたりしてもやり続ける。

卑怯なこととは、どのようなことなのか、先の短冊を一つずつ貼り出すたびに、大きく頷く子もいました。

昔もいじめはありました。

しかし、昭和三十年代生まれの私が子どもの頃、「卑怯なことをしない」ということは、ごく当たり前のことでした。

たとえ、けんかをしていたとしても、「おい、もうやめとけ。それ以上やると卑怯だぞ」と、誰かが止めていたものです。それほどに卑怯という考えが徹底していたのです。

卑怯という価値判断は、武士道につながるものです。武士道といえば、武士という特別な階級だけと思われるでしょうが、そうではありません。

武士道は、平安時代末期から鎌倉時代にかけて「戦う者の掟」として生まれました。いわば、戦いにおけるフェアプレー精神です。

江戸時代になると、実戦はなくなります。それとともに武士階級の行動指針であった武士道は、物語や芝居を通じて次第に一般庶民にまで行き渡っていきます。

このようにして武士道は、日本人全体の道徳となったのです。かつて日本のどの家庭でも、知らず知らずの間に、ごく当たり前に「卑怯なことだけはするな」と教え込まれてきたものでした。 

そこで、保護者の皆様にお願いです。

例えば、「誰かが、悲しい思いをしているのを知っていながら知らん顔するのも、卑怯なことだよ」と折に触れて子どもに語っていただきたいのです。

「月田っ子は卑怯なことをしない!」

「卑怯なことは許さない!」

 このことを当たり前にしたいのです。

 学校でも、家庭でも、そして地域でも …… 。


苦いラーメンの味! 

いよいよ年末が押し迫ってきました。年の瀬といえば、気忙(きぜわ)しい時季であります。子どもたちは冬休みです。しっかり手伝いをさせてください。
手伝いと言えば、ほろ苦い経験をつい思い出してしまいます。あれは、ユキオ少年が小学四年のころでした。
我が家は農家、父と母、それに三歳上の兄と私の四人家族です。
我が家には、一丁五反の田んぼがありました。農機具も今ほどに発達しておりません。ハデ(稲木)に干した稲束を集めてきては、脱穀するという時代です。日によっては、すっかり夜の帳(とばり)が降りて、星がきらめき出してきます。夜空を見上げながら父に星の見方を教わったことをよく覚えています。
その日は、少し遅くまで農作業をする予定だったのでしょう。夕方、ひと足先に家に戻って風呂焚きと夕飯の準備をするよう父の命(めい)が下りました。兄は両親に負けぬ働きぶり。やや力不足の私は、家事仕事へと異動命令が下ったのであります。
重労働から解放された私は、いくぶん軽やかな気分でありました。薪に火をつけ風呂焚きを済ませ、夕飯の下ごしらえをしようと思った矢先、ユキオ少年は無性に空腹である事に気が付きます。
その当時、爆発的に売れ始めていた出前一丁に手を伸ばします。ラーメンは全部で四袋。その一つの袋を開けるとき、良心の呵責にチクリと心が痛みます。父と母、それに兄は、まだ田んぼで働いているからです。
でも、分かるはずないと一人納得し、三分も経った頃には、あったかい湯気のあがるどんぶり、ラー油のほのかな香りに小さな幸せを感じます。
ところが、予期せぬ出来事が起こります。突然、三人が家に戻ってきたのです。ひと足早く戻った兄が言います。「ユキオ! ラーメン作ってくれ。ラーメンがあったろう」
想定外のその言葉を聞いたとき、私は真っ青になります。自分一人だけ勝手に食べたとは、口が裂けても言えません。
その瞬間ひらめきます。「三袋のラーメンを四等分しろ」という悪魔の囁きです。手が震えるのを押さえるようにして袋の封を切り、大急ぎで作って四つのどんぶりをテーブルに置きます。
兄の空腹が押さえ切れず、一旦軽い食事を済ませ、再び田んぼに出るという算段に切り替わったことをこの時知ります
四人がテーブルに向かい、ラーメンをすすります。私も食べない訳にはいきません。家族への裏切り行為をしているという悪行の味を、無理やり喉の奥に流し込む ……。そんな苦いラーメンの味でした。
真っ先に食べ終わった兄が言います。
「あぁ ~ もう済んだ。なんか今日は少ないなあ」
少ないはず、三人分を四等分にしたのですから。
完全犯罪にするには、汁は四人前必要です。当然、味も薄くなっていたはずです。
兄の呟きに、「ばれた!」と思った瞬間、父が言います。「モトオ(兄の名)は、良く食べるようになったなあ」(勘の鋭い父です。全てお見通しだったのかもしれません)
この言葉に、私の一難は救われたのでありました。三人が田んぼに出た後、ひどく惨めな思いで片付けをしたのでありました。
この歳になっても、ふとあの時のラーメンの味が蘇ってくるのであります。何とも情けない思い出です。
ところで、昭和の時代に比べ、子どもたちの手伝いは、今や無きに等しい感じになってはいないでしょうか。子どもたちの健全な育成には、家族の一員として手伝いをさせることが、絶対に必須です。このことが家族の絆を深めるのです。


読書のすすめ「福井の底力」

全国学力テストで常に上位三県に君臨する福井県をかつて教育視察で訪れたことがあります。
現地を視察してみて、特別なことを取り立ててやっているのではない。これが、素直な印象です。ただ、大きな違いが一つあります。それは、いかなることも徹底するという実直さの違いです。
そういえば、長年付き合いのある福井県の教師は皆、実直、一徹というイメージがあります。
例えば、掃除の場所は一週間や二週間では交代しません。八週間、同じ掃除場所を担当させます。掃除場所には、担当者名まで明記する学校もあります。特定の場所を長く担当することで、自覚と責任が生まれるのです。
福井には禅寺の永平寺があります。永平寺流の掃除ではホウキを使わず、雑巾のみで床掃除を行います。むろん、無言での清掃です。
また、福井のある小学校では、月一回、子どもたちが読書感想文を書いて提出しますが、その後の言葉が衝撃的でした。「保護者の方も一緒に書くんですよ。書いてこない家庭は、ほぼないですね」
毎月、家の人まで一緒に読書感想文を書いてくるのが福井の教育文化なのです。親が本を読み、親も書くなら、当然、子どもが書かないはずはありません。読書をする親の背中をみて、子どもたちも読書好きになるのです。
このような徹底ぶりが、福井の強さの秘訣と言えるのではないでしょうか。全てを真似できるものではありませんが、かつて月田小でも掃除のローテーションを二週間から四週間に変更しました。また、永平寺流・無言の清掃も取り入れています。但し、先の読書感想文の提出は、さすがに踏み切れません。お叱りの電話が殺到しそうで。
先日、月田にお住まいの方が校長室を訪ねてくださいました。はるかに人生の大先輩です。NHK大河ドラマ「西郷どん」に触発され、あれこれと調べたいことがあり図書館に出向いて調べてみた。でも、どうしても分からないことがあるから校長に聞きにきたと言うのです。尋ねられた事柄は、歴史通でなければ思いつかないだろうと思われる疑問でありました。元より浅学菲才(せんがくひさい)です。十分な答えは出来ませんでしたが、しばし、歴史談義に花を咲かせました。何歳になっても、疑問を抱き、自ら本を手にとり調べてみるという行為。とても素敵だなあと思います。
少し前までは、電車に乗ると多くの人が、文庫本片手に過ごしていたものです。しかし、スマホが普及するに連れ、その光景は一変してしまいました。大半の人がスマホに目を落としています。
日本は、昔から今も、世界一の読書人大国です。明治維新からわずかな間に欧州列強に肩を並べる国家となりえたのも、戦後、奇跡の経済復興を遂げることが出来たのも、最大の要因は、国民のほとんどが十分読み書きできるという点にあったと思います。
自由な時代でありますが、一見すると自由のようでありながら利器に管理されてしまっている現代人は、本当に自由で幸せと言えるのでしょうか。「社会人としての普遍的資格を失うまいとするあまり、人々は知らず知らずのうちにメールの奴隷になっている」と、私の好きな直木賞作家は、指摘します。
やはり、日本の実力の源は、読書する「民度の高さ」にあると思います。猛暑が去り、涼やかな好時期となってまいりました。テレビ・ゲーム・スマホを遠ざけ、一緒に読書してみてはいかがでしょうか。決して、読書感想文まで提出してくださいなどと言いませんから。安心して本の世界を楽しんでください。



まだまだ大人の私達が考えさせられる文章を沢山掲載しています。
是非お読みください。


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