特集2(B) 『億劫良の細道』

         

       



本文紹介→

1)まえがき

 この本の内容は、三紙の新聞に連載された、精神科医師である著者による次のようなコラム記事をまとめ、再編成し加筆したエッセイ集です。

 これらのコラムでは、人々の生き抜く姿と知恵、その日常に見えてくる喜びや悲しみ、心動かされた美しいことなどについて記しました。四年前と三年前に「私はぼけて幸せ」、「私のぼける作法」(いずれも丸善出版)という二冊の本を出版しましたが、認知症を治す方法を申し上げるものではなく、人生をどのように受け入れていくかが主題でした。この本は、それらに続くものです。
 題名の「億劫良」は短歌や俳句での私のペンネームでもあります。万葉集の、苦しい生活の中で子供を詠い、天に訴えるような、しんみりとする山上憶良の歌が心に響き、その「憶良(おくら)」という名前を頂こうかと思いましたが、不遜なことなのでそれをもじりました。億劫(おくごう、おっくう。旺文社 漢和辞典による)とは、もともとは仏教用語で、永遠に続く無限の時間という意味ですが、後になり面倒くさくて大儀だという意味に転じて使われています。両方の意味で、億劫も良し、ということです。億劫良(おっくうら)を何回も口に出していると、憶良という発音になります。
 億劫という長い時間単位で物事をみていると、大きな喜びがあったとしても、その陰には他の人の悲しみが隠されていることを思い浮かべ、手放しで浮かれすぎず、静かに喜び、反対に苦悩の中にあっても、その裏にある意味を考え、救いを見つけたいと願うのです。
 狭いながらも繊細で美しい日本という島国で、少しでも面白いものや生きる喜びを見つけようとして、ゆっくりと空をさまよい、複眼で風景を見ながらあちこち飛び回っているギンヤンマ(トンボ)になった姿を思い浮かべてお読みください。ちなみに、平和の平の字、或いは十字架を象徴している形をしているトンボを一度ゆっくり見つめてください。一万個の複眼の中に、あなたの心と青春が映し出されているかもしれません。
 なお、この本の中で申し上げている内容は、特定の人や組織のことを指しているのではないことを、くれぐれもご了承ください。



  2)本文中より

一.新人に襲い掛かる試練 

 四月。希望に燃えた新入社員たちは若々しく、やや緊張気味の笑顔を浮かべながら入社します。初々しい人達を端から見守りながら「うまく一人前になってほしい」と心から願ってきました。新緑が厳しい陽光を受けて、緑が濃くなり、吹き抜ける風が葉の裏の白さを笑うように踊らせるようになると、多くの会社では新人達が研修期間中の緊張の疲れを出してくる頃です。
 新たな環境で、新人はさまざまな試練にさらされます。親にかばってもらい、友達同士で守られた世界が一変するのですから、当然です。すぐには様々な新しい変化に追いつけるわけではなく、新しい環境に慣れたり、新しい仕事内容を覚えるのは難しいことが多いのです。厳しい社会や周囲は自分の方に近寄ってはくれず、自分から相手に近づき、道を切り開くしかないことを、まず身にしみて感じ取り、こんなはずではなかったと思うことが多いでしょう。一応、これまでの人生で合理的に判断し、自主的に行動することを学んでいるはずですが、仕事のプロの世界では「甘え」は簡単に吹き飛ばされてしまいます。
 某企業で新人研修の一環として、メンタルヘルスについての講話をしたことがあります。会社幹部による二週間の詰め込み教育で、新人たちは疲れ果てていたのでしょう。彼らは当初、私にうさんくさそうな視線を送っていました。
 そこで私は「幹部といえども、自分の立場でものを言っている」という趣旨の話をしました。彼らの表情は次第にリラックスし、質問や意見も飛び交うようになりました。「状況を客観視する力」が彼らにゆとりや元気を与えるものだと痛感させられました。
 仕事を通じて組織の一員になるわけですから、新入社員には協調性が求められます。しかし、いろいろな個性の人がいる場で、全員と協調するのは難しいものです。意見が異なることもしばしば起きますが、コミュニケーションを良くしようとする習慣が必要でしょう。
 それでもお互いに了解しあえないことは多くあります。そのような時、常に自分を捨てて、いつも相手の言いなりになるのもしゃくの種です。不満は一応胸の内に抑え、全体の方針に従うしかありませんが、「周囲と協調しつつ、自分を見失わない」という、ゆとりと度量を持つようになりたいものです。そのためには、さきほど申し上げた自分や他人を客観視する力が必要になります。
 新入社員なら誰でも意気込みを持っているはずです。しかし職場では人間社会の理不尽さや不完全な面が目につき、人間関係でも気を遣うため、意欲をそがれることもあります。柔軟にしなやかに対応できれば理想的ですが、すぐにはそうはできにくいようです。私たちは子供時代より良い子競争の中に取り込まれていきますが、就職すると新しい次の良い子競争に入らざるをえなくなり、慣れない中で何とか組織の一員になろうとし、適応するために心身のエネルギーを使います。過剰なエネルギーを使い続けて疲れてくると、昔のマスコミ用語ですが、五月病や六月病と言われる状態が起こります。朝起きるのが億劫になったり、食欲不振、不眠、しんどさなど様々な故障を自覚するようになります。多くは適応障害と言われるものですが、ストレスによりひき起こされた様々な心身の故障が自覚され、うつ病といわれるものに移行することもあります。

 自分も含め、欠点だらけの人間が一緒に働くわけですから、お互いを許し合う心が必要です。攻撃ばかりしていても、何ら生産的ではありません。「人間を理解する」ということは一生を通じた仕事になります。

 今まで新人と呼んできましたが、実は若い新入社員のことばかりではなく、中途採用された方、配置転換された方なども含まれます。環境が変わることや職種が変わること、人間関係の変化などにより、いかにベテランであろうと新人と同じ状況になります。慣れない新人が入ってきて苦労するのは、新人のみならず、実は今までそこにいた人達、ことに上司も苦しむのが普通です。「若者を笑うな、自分も通ってきた道。ベテランをけなすな、自分が通る道」という気持ちでお互いに接することが必要でしょう。
 中途で職種変更があるときは、新人と同じように、慣れるまでの援助が必須です。ベテランが新しい職場で働くようになる場合、「歳をとっていますが、新人です。よろしくお願いします」という挨拶があれば素敵です。最近、即戦力重視という非常にせっかちなアメリカ的発想で、契約社員を採用する傾向がめだってきました。経験者だからといっても教育期間は必要で、十分な情報を得てから能力を発揮できるまでには時間がかかります。

 繰り返しますが、対処の基本としては、苦しみは一時のことと思い、その上で新しい環境に慣れるまで、しばらくの間の辛抱と心得て、ゆっくりと慣らすことが大切です。緊張し頑張りすぎてへたばらないよう、適度に力を抜いてください。休養は必須で、気分転換を図るようにしましょう。仕事以外の楽しみも見つけましょう。

 試練をうまく乗り越えれば、組織に受け入れられるでしょう。しかし、この新人の段階でつまずき、会社を辞める人が二割ほどいると言われていますが、辞めることを即断せず、苦しいときには身近な人や先輩に話を聴いてもらいましょう。自分の能力に対する買い被りや思い違いが誰にでも起こりえますから、「誰もが試練を体験する」という思いで、穏やかに乗り越えてもらいたいものです。そのためには周囲の人も温かい目で見てあげ、新人をサポートしていただくことを切にお願いします。お互いにあせりは禁物です。
 一年ほど経つと周囲の状況が見えるようになり、落ち着いてきます。どうしてもうまくいきにくいと感じるときには、専門の精神科医にご相談ください。


二.人は心病んで生きている 

 どのような時代でも、どのような社会でも、人は生き抜くために一所懸命です。国はより良い社会を作り上げようとし、さまざまな脅威から国を守ろうと模索し、様々な分野の人が関わり続けます。企業は利潤を上げるのに工夫をこらしますが、そこで働く人はその負担を背負っていきます。家庭はお互いが協力し、信頼と愛情で結ばれながら、日常生活の中で喜びと苦労を共有していきます。その中で私たちは様々な困難なことを何とか切り抜けようとし、理不尽な事だらけのなかで健気に努力をし続けます。
 さまざまな事情により人は生き抜くのに苦しくなってくると、心身のエネルギーを使いすぎてエネルギーが乏しくなったり、枯れ果ててしまいます。それを「うつ状態」とよびます。しかし「気分が憂うつだ」とか「元気が出ない」という「うつ症状」があるからといっても、「うつ病」であるかどうかはわかりません。風邪をひいたり、体調が悪かったり、痛みがあるときや、不安で心配な状態が続くときにも抑うつ気分を始めとする「うつ状態」は多かれ少なかれ必ず起こりますが、原因となるものがなくなると、それは消失してしまいます。このようなときには「うつ病」という診断にはならないかもしれません。本当のうつ病でも、軽症の場合は専門家でも診断をするのが困難なことがあります。国際的な診断基準がありますが、専門的なことになりますからこのコラムでは詳しくはとりあげません。話が込み入ってくるとややこしくなりますので、常識的なぼんやりとした範囲でうつ病とうつ状態をまとめて、とりあえず「うつ病」として説明します。
 文明が高度に発達しその便利さを享受しながらも、複雑な社会で私たちは苦労を重ねて生活しているので、どのような人でも心の病気になる可能性が高くなります。実際に心の病気が急速に増えてきているという統計もあり、診療していても生き抜くのに苦しい時代になっていることを実感します。そういう意味では、全ての人が心病んで生きている、という表現は言いすぎではないかもしれません。

八.心は心で癒される

 人は一人では弱い存在ですので、生まれおちて以来、孤独との戦いで、一人ぽっちであることの恐ろしさやさみしさを身にしみて感じています。そのため安全さと依存するものを求め、愛し、愛される対象を求めつづけています。しかし現実の世界はそう簡単に自分の思うようにはいかず、安全が脅かされ、不安に満ちています。そして苦しい状況では誰も救ってくれないという孤立感や絶望感が起こりがちです。孤独に耐えうる能力が高い人ほど柳のようなしなやかな生き抜く強さを秘めているようです。
 この孤独感をどのように調節していくかの課題を、私たちは子供の頃よりずっと抱えてきています。苦悩している人は強い孤独感をひしひしと感じ、孤立し困惑していますので、これを癒すことを求めます。そのようなとき、幸運にも自分を救ってくれる人が出現したとき、私達は至福の境地となります。この体験をしたとき、住むことのできる世界が急にひろがります。
 機械やテクノロジーでは苦しんでいる人の孤独は根本的には解決できません。癒されようとしてコンピューターゲームにのめりこんだり、多量の酒に頼ったりすることもありますが、ストレス解消を図ることがかえって新たな問題をひき起こすこともよくあります。普段誰もがよく理解しているはずなのに忘れがちな「人の心は人の心で癒される」という大切な発想を思い出して下さい。つまり、安心できる人とのコミュニケーションで、お互いに相手の話に聴き入ることができると穏やかな気持ちになります。自分が受け入れられる温かい人間関係によって孤独感を癒すことができれば、再び頑張ろうという気持ちになるかもしれません。そのような人間関係が持てるよう、私たちが自ら魅力的な人間になろうという普段からの心がけが必要になるでしょう。自分が受け入れられると気持ちのあり方が変化してきます。弱点や欠点を持っていても、これらを含めてこれが自分だということを受け入れ、そのような自分を大切にしていくことに繋がれば理想的です


十二.感謝の言葉

 某デパートの入り口に手動の大きなドアがあります。私がそれを開けて家族を通したのですが、後から数人の人が続いているので、そのまま私はドアが閉まらないよう手で開けた状態を保ち、人が通るのを待ちました。一団の人に続いてすぐに別の人の群れが黙々と通り過ぎていきました。その間誰もバトンタッチしてくれませんし、当然のような表情で、ありがとうという言葉は誰も出しません。ようやく人の流れが中断したので、ドアを離し中に入ろうとしました。そのとき駆け足でやってきた二人連れが閉まりかかったドアにぶつかりそうになって、彼らがこう言いました。「ばかやろう、ぶつかるじゃないか」と、険しい表情で私をにらみました。
 黙っていても、他人は自分のために無条件に当然サービスをするものだと思い込んでいる人もいるようです。しかしその後、同じような状況で、「ありがとう。すみません」という言葉をさりげなく頂くことが時々あるとき、救われた気持ちになり嬉しくなります。
 なじみのお客さんが多いレストランでは、ほとんどの人が店員に気さくに挨拶して、親しみのある会話が弾み、気持ちが良いものです。店の方の笑顔に接すると料理もおいしくなります。
 一方、多数の人が利用する忙しいレストランで、お客さんが店に入るときと支払いを済ませて出るとき、店員に挨拶するかどうかを見守ったところ、約三割のお客さんが挨拶し、七割の人は終始無言でした。
 店員の応対は丁寧ですが一方的です。お客さんとしては奉仕されても金を払うのだから、自分のほうが偉いと思っているのでしょう。モラルと習慣の問題が関わっているのでしょうか。
 本来お客さんと店員は人間としては対等の関係のはずです。そこで働く人にとって店は彼らのテリトリー(縄張り)ですから、その中に入ってくるお客さんは挨拶があったほうがいいように思えてなりません。
 感謝の言葉をお客さんが出されると、働く人は元気を頂き、サービスが良くなることをご存じでしょうか。


 十七.燃えつき症候群 ① 

 人のお世話をする仕事に従事する際、解決のつかないことに対し、とがめられないようミスがないように配慮し過ぎ、一所懸命になりすぎる状態が続くと精力を使い果たし、もう頑張れないという限界が訪れます。
 小学校の先生が「もうへとへとで、どうにもならない」ということで相談に来られました。お話を聴くと、担当している学級のある生徒の親が学校へ来て面会を求め、「うちの子供が登校拒否になったのは、学校でいじめにあったからだ。どうしてくれるのか」という強い攻撃を込めた苦情を連日一時間もまくしたてるとのことです。校長や行政機関にも攻撃が及び、関係者の皆が対応に困り果てているとのことでした。
 その先生は自分に責任があると感じ、毎日毎日、授業が終わった頃にやって来る母親に頭を下げて熱心に対応するうち、さまざまな心身の異変が起こるようになりました。それでも親の攻撃に耐えていたのですが、我慢の限界となり、イライラが強く、何も考えられなくなりました。食事もとれず、不眠が続き、憔悴し、燃え尽きてしまいました。
 就労不能という見立てをし、「数ヶ月の休養加療の必要あり」という診断書を書きました。本人は休むことにすごく罪悪感を抱いていましたが、説得して無理に休んでいただきました。その休養の間は非常勤教師が授業を担当しました。そのうち親の攻撃はいつしか目標を失い、鎮まっていきました。そうこうするうち、数週間のうちに先生はすっかり元気になられ、やがて復職されました。この先生は非常に良心的で生真面目で、とがめられないように配慮しすぎる方でした。同僚のサポートも十分にありましたが、責任感が強すぎ、一人で背負いこんで、丁寧に対応しすぎて、病気になったものと思われました。
 一方的に他人を攻撃する人が目につくようになりました。対人サービスに従事する方はそのような人を常に意識しながら対応しなければなりませんので、今後も厳しい状況にさらされるでしょう。誰もが厄介ごとは避けたいし、担当者に責任を押し付ける傾向が出やすいのですが、組織ぐるみで対応することが基本です。

一八.燃えつき症候群 ② 

 対人関係で疲れ果て、自分の能力を思い知らされると救いが見つかりにくくなり、疲弊すると、うつ病をはじめとする様々な心身の病気が起こってきます。
 どんなに苦しいことや痛みでも、「これは一時的なものだ。ここを辛抱すれば何とかなる」ということで何とか耐えられるものです。歯科医院で恐ろしそうなドリルを口の中に突っ込まれた時、何とか耐えられるのは「これは一時的で、あとは楽になる」と信じているからです。その反対に、わずかな痛みや苦しみでも、それが永遠に続くという場合、とても耐えられません。例えば、歯を削ることが一日中続いたり、歯痛が一生涯続くとしたら、もう死んでしまいたいと思うほどの苦しみになるでしょう。
 このことと燃えつき症候群とは密接な関連があります。私たちは困難なことや、苦しみをもたらす仕事をしていても、それを何とか乗り切れば楽になるとか、そのうち必ず一件落着すると思うからこそ頑張れ、エネルギーが続くわけです。ところが、延々と解決がつかない課題が続けば、嫌気がさしてしまいます。一件落着したかと思っても、次々と苦しいことが永遠に続く状況であれば、容易に燃えつきてしまいます。まして何かアクシデントが起こると、対応できず、心がもろく折れてしまいます。ことに対人的な仕事をしている方に起こりやすいようです。一方単調な面白味のない仕事が変化なく際限なく続く場合には、能率の低下とか意欲の低下、ミスの発生といった別の問題が発生してきます。
 いやなこと以外でも、良いこと美しいことでも同様なことが言えます。花が美しいのは、刹那的であり、やがて枯れていくだろうと思うからこそ余計に愛しいものです。熱帯地方では同じ極彩色の花が一年中咲き続け、当初すごく美しく楽園だと思ったのに、一年滞在していると実に単調と映り、季節感がないことが苦痛となったという話を聞いたことがありました。
 人生もわずか何年の命と思うからこそ、精一杯生きられる面もあり、生きるということが愛しくなるかもしれません。もし永遠に死なないとしたら、人生は耐えられないものとなるでしょう。

     

まだまだ心に沁みる本文が続きます。
是非お読みください。


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